Videotex (1) 通信自由化

SMCシリーズの次はいわゆる「ニューメディア」と当時呼ばれていた、初期の通信関係製品などについてとりあげる。

1985年、当時国営であった電電公社が民営化されると同時に「通信の自由化」が実現した。これは第二電電の参入などインフラ側の新規事業者参入という側面と、電話網につなぐ機器と機能の自由化の側面があった。今となっては想像しにくいが、自由化以前は電話機というのは電電公社の黒い電話(ダイヤル式)かクリーム色のプッシュホンのどちらかしかなく、しかも電話線とはネジ止めされてつながっていたので「工事」してもらわないと設置できなかったし、そもそも他の電話機にしようにも電話機は電気屋には売っていなかった。

 

blackphone

電電公社の「黒電話」 http://syuukadou.jugem.jp/?eid=70 より

これが自由化により、RJ-11コネクタを設置すれば、その先につなぐ電話機は電電公社に認定を得たものであれば自由に電気屋でかえるようになった。ソニーも電話機や留守番電話などを商品化しそれなりのシェアをとった。また、自由化以前は電話網を使ってデジタルデータの通信をすることは電電公社のサービスと端末しかできなかった。そのため、1985年以前にPCなどをつかって通信をするためには電話の受話器に音響カプラー経由で300 bpsという低速のモデムを結合する以外に方法がなかった。これも自由化によりモデムを電話線に直結することが認可された。

 

当時のモデムは 300bpsから 2400 bps 程度と低速であったので、画像や音声をおくることはできず、文字中心の通信しかできなかった。 そんな条件のなか、2種類の通信サービスが出現した。

ひとつはいわゆる「パソコン通信」で、Nifty Serveのように、加入者がセンターのサーバーに電話回線で接続して、文字ベースのコマンドなどをつかい、掲示板やメールを利用することができるものである。(これは最近まであったのでまだ覚えている方も多いと思う。)  使うにはモデムと文字端末があればなんでもよく, どのメーカーのPCやワープロでも使えたので流行した。 ソニーも子会社のAIWAがモデムを商品化していた。

Hayes

当時の世界業界標準であった Hayes社の SmartModem https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%A0 より

 

一方、同じ通信インフラを使って VideoTextと呼ばれるサービスを提供しよう、という動きが各国の通信事業者を主体として始まった。日本ではCAPTAIN と呼ばれるシステムがこれにあたる。ちなみにCAPTAINは1984年に電電公社により民営化一年前にサービス開始されている。自由化以前に自社のサービスを開始して民間企業の先を行こう、と考えたのではないかと思われる。

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Videotex (1) 通信自由化」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: Quarter/L (7) VOD と ODM | Good Old Bits

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