’80年代 社内IT事情 (2) TELEXからemailへ

‘80年代は社外との通信手段は電話、FAX, TELEX しかなかった。(実際に会いに行く以外は) 電話は部や課ごとに代表番号があって、内線電話機は4人に一台ぐらいしかなかった。今とちがって電話は多いので、電話をとって取次ぐというのが新人や庶務の重要な業務だった。

海外とのやりとりは基本はFAXかTELEXだったが、FAXはフロアに一台ぐらい、TELEXなどは厚木だとサイト全体で数台しかなかった。入ってくるFAXを仕分けてくばるのも庶務の大事な仕事だった。TELEXは一日に数回入電したTELEXのロール(本当のカーボンコピー)が回ってくるので係の人がそれを宛先別に切り取ったりコピーしたりして配っていた。出すときは専用の申し込み用紙(電報の用紙みたいなの)に手書きで記入して TELEX室に出すと発信してくれた。文字単位で課金されるので Thanks を THX、 Regardsを RGD とか略記した。 ASAP とかETAとかもこの頃覚えた。

telex

TELEX端末 (ソニーにあったのがこのようなレトロな機械だったかは不明) http://retropolis.org/archives/2009/02/post-18.html より

 

海外に出張してもメールで報告なんていうのはできないので、上司にホテルから電話して口頭で説明するか、紙に手書きでレポートを書いてホテルのフロントからFAXで出してもらうかのどちらかだった。

また、1985年の通信自由化以前は国際電話は不便かつ高価で、あまり使わなかった。(当時英語で電話するの苦手だったし)。 厚木は田舎だったので、ダイヤル直通で国際電話はできなくて、一回KDDに電話して申し込んで Call backを待つという方式だった。

KDD

KDDのCM画面から 当時は国際電話を独占していた。 https://www.youtube.com/watch?v=FRPY4GVWVuE より

 

そんな頃、海外との連絡はemailが便利らしい、ということになり、New Jerseyにいた ソニー(当時 SONAMと呼ばれていた)のエンジニアとメールをやりとりできるシステムに加入して (CompuServeの業務用システムだったと思う)日本から Venus-Pという KDDの国際パケット交換網経由でログインしてメールを出したのが私の人生初emailだった。 音響カプラー経由で自分のパソコンがアメリカのサーバーにつながって通信している、ということに妙に感動した。

 

 

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