NEWS (11) 最後のモデル NWS-7000

NEWSの最後のモデルは1995年のNWS-7000 である。これは最強最後のモデルともいうべき64 bit の MIPS R10000 (200MHz) を4個搭載した、対称型マルチプロセッサ構成のハイエンドのワークステーションである。消費電力を抑えるために当時としては画期的な3.3V電源で駆動するCPU R1000 であったが、4個動かすとCPUだけで108Wも発熱してしまい、巨大なヒートシンクが4個屹立するという偉容を誇っていたらしい。また、UnixをマルチCPUで効率よく動作させるのにも苦労があったと思われる。

NWS-7000

NEWS最後のモデル R10000 CPU 4個搭載の NWS-7000 http://isw3.naist.jp/IS/Evaluation98/B2-4.html より

 

NEWSがなぜこのモデルで最後になったかは諸説あるが、一番の要因は経営(者)方針ではないかと思われる。 1995年6月にソニーの社長が大賀典夫から出井伸之に交代した。このときに出井社長はパソコンへの再参入を決め、VAIOの開発が始まった。同時にNEWSの組織(スーパーマイクロ事業本部)から土井取締役が外された。土井取締役はその後、AIBOを開発したが、これも中断を余儀なくされ、ソニーを退社する。退社に際しては自分の「生前葬」を社内でとりおこない、「故人」となった。現在は天外伺朗という名前で著述家・経営コンサルタントとして独自の活動をしている。最近、日経ビジネスの「俺ソニー」インタビューシリーズに前世の名前で登場してAIBOの頃の事情を語って注目された。

 

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/031800001/061000010/?P=1

 

1988年から1995年まで8年にわたり製品が継続したNEWSは、この時期のソニーのコンピュータ系製品の「旗艦」のようなものであり、組織の中心でもあった。当時、Internetはまだ一般のものではなく、Windows PCのブームがWindows 95で始まる前でもあった。ソニー社内でも業界でもこの1995年という年はいろいろと時代の変わる年であったといえよう。

 

ワープロと8bit PCの単品の製品から始まったソニーのITビジネスは 主体を厚木から品川エリアにうつし、NEWSのビジネスが立ち上がると、スーパーマイクロ事業本部という組織になり、ソニー本社と五反田駅の中間にあるANビルというビルに集結して、 NEWS, Quarter/L, MSX, PamlTop, PRODUCEなどの商品を次々に開発していった。

ANビル Googl Earth

スーパーマイクロ事業本部の「城」だった五反田ANビル Google Earth より

厚木でSMC-70のころに入社した情報系エンジニアはこのころにはそろそろ中間管理職になりはじめる。新入社員も継続的に大量に配属された。当時はCD以外のAV機器はまだアナログであったので、このスーパーマイクロ事業本部とソニーの他のAV機器部門との交流はあまり多くなく、一種の治外法権的な部門として運営されていた。

 

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