VAIO (1) GI Project

このブログの最後の項目として 2000年頃までの“VAIO”の創業期についてとりあげる。

ソニーのPCのブランドである VAIOは、ソニーとIntelの関係がきっかけで始まった。1995年に社長に就任したばかりの出井社長とIntelの故Andy Grove 社長の議論から「ソニーはコンスーマー向けPCに参入するべき、インテルがサポートする」ということになり、両社長の頭文字をとって ”GIプロジェクト”というコードネームで準備が始まった。

Grove

1996年 出版の Andy Grove の自伝

この出井 – グローブ会談の詳細は明らかになっていないが、きっかけはインテル側からソニーに特許料の支払い要求があり、その交渉が発端であった、という説がある。インテルはAMDなどの互換CPUメーカーはあったものの、Mac以外のPCでのCPUのシェアは独占に近い高さであったので、PCの市場が成長しない限り、ビジネスは成長しない。そこで、ソニーのようなメーカーが Quarter/Lのようなニッチ市場向け製品ではなく、家電市場でのPCというメインストリームに参入することに大きな意味を感じていたのではないかと思う。

Andy Groveは自伝に「偏執狂のみが生き残る」 (Only Paranoid Survive) というタイトルをつけるような人物なので、決して「ソニーの変革をサポートしましょう。」というようなきれいごとをソニーとの提携の動機にしていたとはあまり思えない。恐らく「豚は太らせてから食え」の戦略だったのではないかと思う。

一方、社長に就任したばかりの出井社長は “Digital Dream Kids”というキャッチフレーズを掲げて、アナログ中心のAV家電機器をデジタル化する、という経営革新を打ち出していた。そのためにはデジタル機器のハブとなるPC市場にも再参入すべき、という意思があったのではないかと思う。出井社長は過去にMSXなどを担当していた事業部の事業部長であったこともある。

Idei

この頃の出井社長の著書(というか社内Webの抜粋、今でいうブログ本)

現在、 VAIOというとノートブック型や大型タブレット型などの印象が強いが、最初のVAIOはデスクトップPCであり、米国市場向けであった。当時、ソニーでは、ビジネス用PCとして Quater/Lが日本で設計・製造され、ほぼ日本国内向けに少量販売されていたが、その部門とは全く別個に、部門が編成され、San Jose にITA (IT of America)という部門が設立され、担当することになった。 MagicLinkのためにSan Joseに赴任していたメンバー、あらたに日本から赴任したメンバー、あらたに San Joseで採用されたメンバーなどで技術部門はスタートした。

一方、インテルはCPU以外にMotherboadも販売しており、また一般にはあまり知られていないが、一部のメーカーにはデスクトップPCを完成品で提供する OEM/ODMビジネスも行っていた。この頃は、まだ現在のように台湾・香港資本のメーカーの中国工場によるPC製造というのは本格化しておらず、インテルのオレゴン州ポートランドの工場で各社のブランドのPCが製造されていた。

ソニーの家電PCのプロジェクトはインテル側でも大型プロジェクトとみなされていたらしく、製造に対応するために、ポートランド近郊の工場が増築された。

こうして、商品企画、ソフトウェア設計開発、デザイン、販売をソニーが担当し、ハード設計製造をインテルが担当する, VAIO  1号機である米国市場向けデスクトップPCの開発が1995年後半に始まった。

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