VAIO (6) VAIO Desktop 1998

 

初代のDesktop VAIO (PCV-70/90)は米国向けは、PC本体の機能としては他社モデルとあまり差が無く、デザイン、バンドルソフトなどで、”Audio Video PC”という位置づけにしていたが、1年後に発売された日本国内向けモデル(PCV-T700MR)  (’97) では、MPEG Encoder, TV Tunerなどを搭載して、アナログ素材のデジタル取り込みなどを可能にしていた。後のモデルで有名になるテレビ番組自動録画の”Giga Pocket” 機能はまだ搭載されていなかった。

米国ではほとんどの家庭がケーブルテレビで視聴していて、専用チューナー (STB)でないと各チャネルは見られない、番組表が町ごとに違う、チャンネル数が膨大、すぐ再放送する、などの理由で、VTRでのテレビ番組録画はあまり利用されていなかった。その関係で、米国向けVAIOでは、テレビ番組録画機能を搭載することはなかった。(逆に、その「空白」をTiVoが埋めてしまったのであるが。)
PCV-70シリーズに続いて、同じコンセプトで小型化、低価格化をねらったシリーズが ’98 年に発売される。米国モデル(PCV-E201等)は、社内では “E3”というコードネームで呼ばれていた. ”Entertainment、Easy, Economy” の略称だったと思われる。当時、まだ “E3” (Electronic Entertainment Expo) ショーはなかった。

vaios600

PCV-S600 (日本モデル) (’98) 本体外観は PCV-E201(米国モデル)と同じ

このシリーズはMicro ATX Motherboardをつかい、小型化、低コスト化したミニタワー型PCである。初代で問題の多かった縦型スライドドアは廃止され、ドライブ類は正面にむき出しになっていた。初代 VAIOと同じく後藤デザインである。FDDが設計の都合で左にずれてついているが、その右に電源スイッチを配置してデザインとしては収まっている。CDドライブはスライドして出てくる部分の全面に本体デザインと一体化するカバーをつけて、存在を消している。

製造委託先はIntelからSolecton に変更された。やはり、Intelは製造業者としては高コストであったようである。

このシリーズは国内モデル(PCV-S500/600/700シリーズ)では一部のモデルで MPEG2のエンコーダーボードとTV Tunerを搭載し、DVDと同レベルのデジタル動画取り込みやTV放送の録画や追いかけ再生が可能であった。

また、日米ともに、i.LINK 端子を搭載して、Adobe Premiere LEや DV Handycamからの動画取り込みアプリを搭載して、DV Handycamから取り込んだ素材を編集して、MPEGファイルにすることが可能になり、 米国では“Digital Studio” という名称もつけられた。

PCVS600Front

PCV-S600のフロントパネルとスティッカー。小型、Low costのシャーシーにいろいろ詰め込んである。

PCVS600Rear

PCV-S600の背面 i.LINKコネクタがある。 https://www.bestpc.jp/products/detail/462 より

動画編集が家庭用PCでできる、というのは画期的ではあったが、まだまだ、面倒なプロセスであった。まず、DV Handycamからの撮影素材の取り込みは、圧縮率の低いデジタルデータの同期取り込みなので、再生時間と同じ時間が読み取りに必要である。また、必要なディスクスペースも膨大で、テープを再生しながらリアルタイムでハードディスクに書き込むので、途中で、他の処理が走ってしまうと失敗してしまう。この動画取り込みのための専用アプリ “DV Gate” が開発されプリインストールされた。

”DV Gate”はDV動画のテープからの読み込み、簡単な切り貼りをすることができた。読み込んだ結果のファイルは.AVI形式のファイルであるが、MPEGではなくDV方式CODECで記録されていた。これを他のソフト (Adobe Premier LEや CD書き込みソフト)で他のメディアに出力するときにMPEG. MPEG2などに変換していた。

DV方式CODECはフレーム間相関を使わない、圧縮が1フレーム内のみで完結する動画編集には有利な方式であったが、圧縮率が低く、HDD上のファイルサイズが巨大になる。この時期のWindows 95はまだ DOS時代のファイル管理システム “FAT”を改良した”FAT32″を使っていたので、ファイルサイズが2G Byteを超えることができず、DV形式の動画ファイルを扱う制限となった。 また、書き込み時にファイルがディスク上で断片化(fragmentation)すると、処理が遅延して、テープの走行に間に合わなくなる可能性があったので、動画ファイル専用のドライブパーティション (“D:”など)を用意し、定期的にデフラグメンテーション処理をすることが推奨された。

そうやって、緊張して取り込んだ DV Handycamの動画データを、今度はAdobe Premere LEを起動して編集するのである。当時のPentium II 400MHz とかでは編集やMPEGへのエンコードとか色々時間がかかったと思う。

(私も2000年頃に、子供を撮影したビデオをDV Handycamから取り込んで自作PCで編集とかしていたが面倒だった。最近は、アクションカム動画の編集をよくするが、取り込みはUSBにつないで、ファイルをコピーするだけだし、編集もほぼ即座にプレビューできるし、再エンコードも再生時間の数倍のスピードで完了するので、かなり楽になった。ただ、動画を編集する、という行為自体に文章や写真の切り貼りと違う、「時間軸の操作」という要素があり、一段難しい行為であることは変わらない。)

同じ1998年の“VAIO Compo” (PCV-M300など)は Desktop VAIOとしては初めて、日本市場向けに開発された製品である。これは、ミニコンポステレオのような形状をしたPCで、フロントパネルはオーディオ機器のようなアルミパネルで、CDは縦置きでも使えるようにスロットローディングであった。組み合わせて使う17インチトリニトロンモニターはテレビとしても使えた。また、Desktopとしては初めてLCDモニターのモデルが設定された。

VAIOCOMPO

VAIO Compo PCV-M300 (’98)

PCVM300

アルミフロントパネルとスロットローディングCD http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/980225/m300.htm より

ターゲットとしては、一人暮らしの部屋で、テレビも、ステレオも、PCもこれ一台で済まそう、というライフスタイルを想定していたと思われる。そのため、PCから離れたところでも操作できるワイヤレスキーボードとか、外付けの200枚CDチェンジャーやMD Playerのコントロールとか、各種メディアファイル、外部機器を管理する”Media Bar”アプリなど、いろいろ凝った機能が実現されていた。

PCVM300KB

専用のWireless Keyboard http://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/980225/m300.htm より

“VAIO Compo”は内部の基板は台湾Acerに特別仕様で発注され、東金のソニーの工場で組み立てられた。
実は同時期に、米国市場向けに “Hood River”というコードネームで検討されていたVAIOがあった。これは、Living Room PC というコンセプトで、居間においてある大型テレビに接続して使うPCである。大きさはAVアンプのような横幅 430mmの横型であったと思う。この頃、DVD Playerや映画 Discが発売され、CPUもPentium II (MMX)になり、PCでDVDが再生できるようになってきた、というのがTVにPCをつなぐ理由としてあった。また、i.Linkによって外付けHDDなどの周辺機器が簡単に接続できるようになったので、AV機器のように周辺機器を買い足せるようにする、という構想もあった。

諸般の事情により “Hood River”は製品化されなかったが、この時に考えられた “10 feet UI” (テレビの前でソファでくつろぎながら操作するPC UI)というのはその後、何回かVAIOで商品に搭載され、さらに Microsoftが “Windows Media Center”のUIとして現在のWindows 10 にも搭載されている。”Hood River”はIntelの工場のあるOregon州の地名なので、Intelとの共同開発だったと思われる。

TVsidePCUI

2007年の”TV Side PC” (通称おひつ VAIO)の 10 feet UI (VAIO Media)

20年近く経過した現在でも、”Living Room PC”というコンセプトは結局成功した例はない。2017年現在、一番有望なのは Chrome Stick, Fire TVなどの、スマホやタブレットからテレビに動画だけ転送する方式である。

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VAIO (6) VAIO Desktop 1998」への1件のフィードバック

  1. 後から思い出しました。VAIO Compoの派生機種は、AcerのCPUボードをやめ、”IRUKA”というコードネームのASUS製に変えていました。ASUSとの最初のCPUボードです。契約として先行していたLシリーズ用のCPUボードが”Shachi”だったので海洋哺乳類つながりです。i.LINKに流れていたデータはDVフォーマットで圧縮されているものでした。

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