’90年代後半 社内IT事情

もう書くことがないと思っていたら、’90年代後半の社内IT事情について書いていなかった。(’90年代前半の話の続き)

私は、1994年から米国勤務だったので、当時の米国ソニー (Sony Electronics Inc, SEL)での話である。

1994年春に、San Joseの新築のオフィスに着任すると、机の上には、確かCOMPAQのデスクトップと黒いMeridianのPBX電話が置いてあった。座席は米国式の広い”Cubicle”で、完全に間仕切りで囲まれているのではなくて、4人分が一組で4隅を向いて座り、中央に丸いテーブルがあるような形が標準だったと思う。

Cubicle

当時使っていたオフィスはこんな感じ (Herman Millerのカタログより)

 

SEL社内のメールは Lotus cc:Mail だった。当時、米国の社内メールシステムとしては一般的なものだったと思う。cc:Mail経由でInternet側のメール網と交換できたような気がするが記憶があまりない。SEL社内の各部門との連絡は基本的にはこのcc:Mailと内線のVoice Mailだった。

 

ccmailr8

’97年ごろのcc:Mail 日本版の画面 http://internet.watch.impress.co.jp/www/article/970729/ccmail.htm より

 

cc:Mailは日本のソニー社内とはつながっていなかったので、エンジニア系の連絡や日本との連絡は、当時すでに専用線で社内LAN (SEN, Sony Engineering Network)が日米で接続されていたので、それを使って EudoraやUnixのMail Clientで日米の社内でメールを交換していた。こちらのシステムはどこかでInternetのMailに当然接続されていたので、社外とも同じ方法で連絡できて便利だったので、社外との連絡はこちらのシステムを使うことが多かった。

私はUnix使いではないので、MacかPCで Eudora と cc:Mailの両方を使っていた。前半の General Magicの仕事の時はAppleがらみだったので、Macがメインマシンだったと思う。VAIOの仕事に変わってからは会社IS提供のCOMPAQを使い、その後、自社のVAIO Notebookの新機種を取替えながら使っていた。

この頃は米国でもまだ電話による連絡が社内・社外でも基本であった。SEL社内でもSan Diegoにある工場・サービス拠点、New Jerseyにある営業系オフィス、全米各地の営業担当など、簡単に会うこともできないので電話が多用された。時差もあり、忙しく動き回っている人も多いので、電話をかけて相手が直接出ることはあまりなくて、大概留守番電話、つまり “Voice Mail”を残すことになる。そうすると相手から電話が掛かってくるが、今度は自分が居ないことが多く、相手の返事も Voice Mailで聞くことになる。 Voice Mailを数回交換するだけで要件が終わることも多かった。当然のことながら、全社員、専用のダイアルイン番号で「取次ぎ」とかはない。

最初は電話の英語に慣れてなくて、聞き取れなかったり、通じなかったりして苦労したが、なれると便利なシステムだった。電話で会話すると、どうしても挨拶や雑談が紛れ込むが、Voice Mailだと要件を短く説明するだけなので、効率は良い。どうせ Voice Mailだろうと思って電話すると本人がでてきて驚く、というようなこともよくあった。

営業系の人が上司に報告をするのもこのVoice Mailを使う人が多く、直接通話するといらない用事が降ってきかねないので、わざと Voice Mailだけ残す、というモードがあってそれを使っていた。それをやっているのを横で聞いていたことがあるが、慎重なタイプの人で、事前にしゃべる内容を考え、Voice Mail録音中に言いよどんだりすると、キャンセルして、最初から録音し直す、という念の入れようだった。米国企業は上司の機嫌を損ねると簡単に首になったり降格されたりするので報告は大切なのである。

現代では、Emailのほうがさすがに多いと思うが、今でも電話会議は米国ではよく使われていると思う。ビジネスでの電話というものの使い方に日米での違いというのはまだあるとおもう。

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Meridian (Nortel) のオフィス用電話機 http://www.biocomp.net/o34537.htm より

 

このころ日米で急速に携帯電話が普及し始めていた。日本を離れた’94年頃には、Magic Linkの仕事にかこつけて、会社に携帯電話を買ってもらっていたが、駅などで使っている人はほとんどいなかった。使うには勇気が必要だった。

米国に来ると、携帯電話を持っている人が日本より多いような気がしたので、自分でも買ってみた。この頃はまだ「アナログ携帯電話」時代で米国では”AMPS”という方式であった。代表的なのが Motorola のMicroTACという機種だったので、とりあえずこれをしばらく使った。次にソニーのCM-R111という超小型のモデルが出てきたので買い換えた。小さくて便利であったが、番号表示の1行の液晶画面すらついていなくて、通話以外は何もできない機種であった。

MicroTAC

’90年代の米国携帯の代表機種 Motorola MicroTAC

 

Sony_CM-R111_1993_Correctly_Sized_Wide

ソニーの超小型 携帯電話 CM-R111 (1994年 グッドデザイン賞受賞)

 

これをもって日本に出張にいき見せびらかそうと思ったら、あっという間に日本は携帯先進国になっていて、メール機能や着メロ付の携帯やPHSが大量に売られていて小さいだけの私のソニー携帯は出る幕はなかった。(デジタル携帯が爆発的に普及した1996年ごろのことだと思います。)

P205(1997)

Digital Mova Hyper P205 (1997) 着メロ自作機能付

話をネット系に戻すと、1994年頃には Netscape Navigatorが現れWebサイトが出現し始めた。仕事にも関係あるので、早速使おうとしたが、当然社内LANからInternetには直接IP網として接続されていないので使えない。会社のISに直接IPを通して欲しいと、無理難題を言うと、「WWW使いたいのであれば、Proxyというものを用意したので、それを使うように」と言われて初めて会社のPCがWebにつながった。この頃は Yahoo!のカテゴリー別に分類されたWebページカタログを使って情報を探していた。検索はサイト名やカテゴリ名しかできなかった。

しばらくすると AltaVistaというDECが運営する全文検索をサイトが現れ、英語のサイトはこれで見つけやすくなった。 AltaVistaはその後 Yahoo!傘下になる。 Googleが生まれる前の話である。

1994年には、ソニーの社外向けWebサイト(当時の言い方では”ホームページ”)も立ち上げられた。名称が “Sony Drive”だった。これは当時、New JerseyにあったSEL本社の前の通りが ”Sony Drive”だったことに起源があると思われる。短い通りで、ソニーの建物しか建っていなかったと思う。住所は当然 “1 Sony Drive, Park Ridge NJ”である。

SonyDrive

1994年のソニーのホームページ “Sony Drive” http://blog.goo.ne.jp/sakuraya_shinichi/e/c8f1ac869f76246deed95fa3fe8423df より

SonyDriveMap

1 Sony Drive, Park Ridge NJ (Google Earth)

(この1982年にソニーにより建設されたビルは現在も一部 SELが使用しているようだが、2017年に不動産の所有権は売却されたようである。現在、SELの本社はSan Diegoにあり、Park Ridgeのビルは地域拠点としての機能しか置かれていないと思われる。また、”AT&T Building”として有名で1993年にソニーが買収したマンハッタンの高層ビル(”ソニータワー”)には Sony Corporation of America (米国での持株会社)、Sony Music, Sony Picturesなどが入居していたが、2013年に売却され、ソニーは2016年に同じ Maddison Avenueの別のビルに移転した。)

1995年1月の阪神淡路大震災の時は、発生時はカリフォルニアは午後で、会社の誰かが神戸で大地震というのを教えてくれて、私は神戸に住む両親にすぐ電話をかけた。幸いなことにすぐつながり、とりあえず、両親と実家の無事は確認できたが、その後、長く電話は通じなかった。Netscapeで神戸の被災状況の衛星写真などを見たのを覚えている。

その後の’90年代後半のWebをめぐる狂乱の中心のシリコンバレーで生活していたのであるが、別に近くにいるから影響が大きい、というようなものでもなかった。ただ、多くの企業が近所でどんどん急成長していたので、オフィスも住宅も凄い勢いで建設されていった。ソニーのオフィスはSan Jose市の北の端にあったのだが、一つ北のブロックのTasman StreetにCisco Systemsの本社があり、同じ形のオフィスビルを次々に通り沿いに建設していた。これは”Cisco Street”だよな、とか思っていたら、後年、道路が無いところまで増築していって実際に”Cisco Way”という道路まで建設された。

この頃、もし、通勤途中に看板が見える会社の株を買うだけで大儲けできたような気がするが、当然、その時にそういう才覚はなかった。フリーウェイの近くのちょっと辺鄙なところに”FOXCONN”という看板のビルがあったのを良く覚えている。当時は、まだ小さなメカ部品のメーカーだった。

 

当時、Broadbandはまだ家庭にはなかったので、自宅からは Dial-upで接続していた。日本と違って、米国は市内通話は固定料金だったので、ネット用に2本目の回線を契約してPCにつないでいたと思う。当初、AOLで接続していたが、当時のAOLは日本でいう「パソコン通信」とWebのハイブリッドのような妙なシステムで「補助輪つきのWeb」とか言われていていまひとつだったのでEarthlinkというISPに切り替えた。モデムは当然、当時最高速の33Kとか56Kである。

自宅用には日本から持ってきた Macintosh SE/30 (外部カラーモニター付)があったが、Windows 95が出たときに、これはWindows PCも買わないと、思い, HP のPavillion というDesktopを買った。(VAIOはまだ売っていなかった。)このPavillion も Macも, ‘99年に帰国するときに自宅前でガレージセールをして売ってしまった。

SEL社内のメールシステムは帰国する頃には cc:Mailから Microsoft Exchange (Outlook)に変わっていたと思う。これは、ソニー全体が採用してグローバルなイントラネットが整備され、事務系のメールシステムも社内IP網上で MS Exchangeを拠点ごとに動作させて、Directoryを全世界で共通化するシステムになった。従来からSEN上で EudoraやUnix Mail Clientで使われていた、部門別の草の根的なメールサーバーも共存していて、IT系のエンジニアは2個のメールアドレスをEudoraとOutllookで使い分ける、というようなことがその後、長く続いた。(もしかしたら、今でもそういう社員はいるかもしれない。)

 

VAIOが米国で発売されてしばらくして (1997年?)当時初めての試みとして VAIOをソニーのWeb で直接販売する “VAIO Direct”が開始された。日本でも同じような直販サイト “Sony Style”が開始された。この後、名称が “Sony Direct”, “Sony Store”と変わりながら、ソニーのほぼ全製品を扱うように今はなっている。

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